“不朽の怪作”がデル・トロ流に哀しく蘇る――Netflix映画『フランケンシュタイン』の本予告映像が解禁された。

日本を愛するオスカー監督ギレルモ・デル・トロ(『シェイプ・オブ・ウォーター』『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』「ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋」)が監督・脚本を務めるNetflix映画『フランケンシュタイン』を11月7日(金)より世界独占配信する(10月24日(金)より一部劇場にて公開予定)。小説家メアリー・シェリーの名著で今もなおあらゆる創作物に強く影響を与え続けている怪作の実写映画化。デル・トロによって、生と死を描き、人間としての意味や、愛を渇望し理解を求めることの意味を問う壮大なドラマが哀しく蘇る。

今回解禁された予告映像では、デル・トロの手によって創造された美しくもあり不気味でもある独特な世界観とともに、“怪物”が、自らを創り上げた創造主・フランケンシュタインに対し愛の欲望と怒りを宣告する姿が映し出される。「人間とは何か、そして真のモンスターとは何か」――その根源的な問いが、デル・トロの手によって力強く描き出されている。

天才科学者のヴィクター・フランケンシュタイン博士(演:オスカー・アイザック)は、“科学の力で不死の生命を生み出す”という傲慢な欲望を持ち、数々の死体の肉と骨をつなぎ合わせ、ついに“怪物”(演:ジェイコブ・エロルディ)を誕生させる。最初こそ怪物の完成に興奮していたヴィクターだったが、いつまでたっても求めていた知能に達さず、怪力だけを発揮する姿におぞましさを感じていく。そして、とある事件により博士は怪物の元を離れていくが、怪物は孤独を彷徨いながら創造主であるヴィクターからの愛を求め彼を捜そうとする。

“自分が何者であるか”を探し求める怪物の愛の渇望は、次第にヴィクターへの“復讐”へと姿を変えていく―。解禁となった予告では、冷たい静寂を破る雷鳴とともに、そんな怪物の「私を創った者が話したように、今度は私が話をしよう」という独白から幕を開け、「私の記憶は断片的だ。いろんな男たちの記憶。そして見た、お前の名を。ヴィクター・フランケンシュタイン、私の創造主。一度だけ情けをかけてくれ。私に愛を授けないのなら、この身を怒りに委ねる―」と続く。怪物の切実な祈りと、それが与えられなかったときに生まれる怒りと絶望。その語りは哀しくも力強く、観る者に鋭く突き刺さる。

そして印象的なのは、物語を鮮烈に浮かび上がらせるためにデル・トロが構築した圧倒的な世界観。デル・トロは映画化するにあたり、「私の人生は常にメアリー・シェリーの創造物と共にありました。私にとって聖書のようなものです。それを自分のものにし、異なるスタイルで異なる感情を込めて歌い返したいと思っていました。脚色というのは、未亡人と結婚するようなものかもしれませんね。亡き夫の思い出は尊重しつつも、土曜日には何かしないといけない。つまり、原作をふまえつつ自分のものにしなくてはならない。そうでなければ自分が作る意味がありません」と語っており、本作に込めた“デル・トロらしさ”は、予告からも感じ取れる。

そしてセットや小道具にも膨大な熱量が注がれており、デル・トロは「この作品では、一つ一つの技術の限界を試してみたかったんです。巨大なセットに巨大な小道具、それに複雑な衣装。ハリウッド全盛期に作られた昔の映画のような雰囲気を出したいと思いました。豪華で美しくオペラのような作品にしたかったんです」と告白。徹底したデル・トロのこだわりが、映像全体に宿り、怪物と人間の宿命的な物語に圧倒的な説得力を与えている。

ただの怪物譚ではなく、人間の本質を問いかける壮大なドラマとして、観る者の心に深い余韻を残すデル・トロ流の新たな“フランケンシュタイン”が、満を持して、まもなく“産み落とされる”――。

本予告映像

Netflix映画『フランケンシュタイン』は11月7日(金)より世界独占配信
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